こんにちは!
今回のゼミは前回の利己主義について教育支援開発機構の須長先生にお越しいただきました!
今日はその振り返りを書いていこうと思います。
グループでディスカッションをする前に須長先生から「問いを立てること」の重要さについてお話をして頂きました。
【須長先生のお話】
グラレコ風にノートとってみたけど最後にいくにつれて雑さが目立つ…😅
●問いはモノを考えるきっかけになる
そもそも哲学とは1+1=2などのように答えとされているものに焦点を当て、そしてそれがなぜそうなるのかを考える学問のことをいいます。
ですので哲学を学ぶ=問いを立てることは必須と言えるくらい大切なことです!
人間は「?」をもつことで思考力を広めることができる。しかし逆を言えば、問いを持たなければ人間は考えることをしなくなってしまう。
普段の生活のなかにあるつまずきや、答えとして当たり前だとされていることに焦点をあて本当にそうだろうか?と考えることがモノを考える支えや背骨となり、思考力を広げることにもつながるのです。
●知識を増やす=価値観は広がる?
答えは自分だけの知識ではNoです。
自分が一度取り入れてしまった知識はたとえ不必要なものでも捨てることはできませんし、1度取り入れると既存の見方や考え方が邪魔をしてそうとしか考えられなくなってしまいます。
そして自分も気付かぬうちに同類の知識ばかりを取り入れてしまい、どんどん自分に有利な方にもっていこうしてしまうのです。
かの有名なプラトンは1+1=2だと断言しました。しかし、ソクラテスは「1本の小枝を割っても2本になる。1÷1=2にもなるじゃないか」と反論しました。このことは当たり前だと思っていることにも揺さぶりをかけ、モノを考え直すきっかけにもなりました。
このように問いは他人の考え方に触れることで、自分の知識や価値観の当たり前を疑い、考え方を見直す機会にもなりうるのです。
●問いは人々を引きつける
「そもそもなぜ〜なのか」のような哲学的な問いは善し悪しに関わらず人を引きつける力を持っています。それは相手も素直に「確かになんでだろう?」といった共感や魅力を感じている、つまり相手にも哲学的な問いのように感じさせているからです。
そしてその問いについてみんなで同じ土台に立って考える
↓
様々な意見のすり合わせによって自分の考え方や価値観を見直し分解していく
といった流れがとても重要になってくるそうです!
そして、このような対話を哲学的対話といいます。
【哲学的対話をする時のルール】
①自分の言葉でゆっくり
②相手の心理を考える
③結論をいそがない
この3つをもとにグループワークをしていきました!
【グループワーク】
最初は3人とも利己主義について老人の発言に共感する部分もあるけど…でもほんとに認めていいの?というどちらかと言えば認めてもいい派的な立場から始まりました。
認めてもいいと思う理由として、3人とも共通の考えでたとえ自分のためにやった行為だとしても結果として相手の役に立っていたり、助けになっていたりしたら問題ないというのがありました。
でもそれは落ちたペンを拾ってあげたりとかお年寄りに席を譲ったりだとかいう状況だけでしか成り立ちません…。
命懸けの状況となると一気に事態は変わってしまいます。
身内などの自分にとって近しい存在であるほど利己主義は否定されてしまうのではないか?また、警察官や消防士など人助けを仕事として働いている人は自分のために(自己満足のため)にやっているのだろうか?そうでないならこの場合も否定されるのではないかという意見が出ました。
そこで私達は「身内にはwin-winじゃない説」という説を立てて話を展開していくことにしました。
でもここで注目してほしいのは身内"には"という所!!
身内や友人なら自分のためというよりは助けなきゃ!みたいに自分の意志で行動するのではないかと結論づけましたが、仕事としている人に関しては納得いく答えが出ず、「仕事ですから」と分別をつけるしかないんじゃないかというその場しのぎみたいな考えになってしまいました…。
(もうここまできたら条件によってwin-winじゃない説に変えた方がいいと思うけど…笑)
結論としては利己主義が正しいか正しくないかは条件によってどんどん変わるし、決めることはできないという形になってしまいました。
しかし、正しいかは分からないけど利己主義の中に利他主義があるんじゃないかという考えでまとまりました。
理由
①友人などは始めは自己満足のためにやっている部分があるかもしれないが、接していくうちに信頼度や親密性が高まり人のために行動するのではと考えられるから。
②今までの経験で学んできた道徳や倫理を身につけた上で利己主義として振る舞うことが、結果として人の役に立ったりする利他主義として捉えられることもあるのではないか。
自分自身の反省としてはグラレコに7割くらい意識を持っていかれてしまって、深くまでグループワークに参加できなかったことが悔しかったです。結果としてそれは意見を発表するときにも出てしまっていて、理解出来ている部分とできていない部分とで結構説明に差が出たり、理解出来ていない部分を少しはぐらかしてしまった部分は先生にしっかりとどういう事?と聞き返されたりしました。理解ができていなくても自分の言葉でわかりやすく説明しなくてはならないことの難しさを感じました。次回からは分からなくてもはぐらかしたりするのではなく、説明しようという気持ちを怠ったりしない努力をしようと思いました。また理想としては発表するときもグラレコするときもまずは自分の頭で理解して言いたい言葉の流れをある程度決めてから話せるようになりたいなと思いました。
そして、グラレコでは見てもわかる通り圧倒的に文字が多くなってしまいました。なかなか言いたいことが絵にできない+話がどんどん進んでいくのでひたらすらメモをとったみたいな感じになりました。グラレコに関しては練習あるのみだと思ったので、他の人のを参考にしたり、普段の授業の時にも取り入れていきたいです!
なんか今回は納得いく文章がかけた気がしないけどあげるほうが大切なので、消化不良だけどこの辺で終わります。
それでは!!