こんにちは。
あっという間に3年生になり、今期もまたゼミ活動スタートいたしました!
今回は森田先生いわく、「春の教養祭り 第1弾」と題しまして哲学について考えていこうと思います!
今回取り組むお題はこちら
マーク・トウェイン「人間とは何か」の青年と老人の対話を通して、利己主義について考えていきます。
①利己主義についてどんな感想を持ちましたか
私は老人のなによりもまず自分自身の心の満足を得るためという主張に納得しました。全てが当てはまるかと言われれば違うと思うけど、私の場合は他人のためだと思っていても、結局自分が損をしないための行動だったり、相手に少なからず見返りを求めてしまっていたり自己満足に繋がってしまう事の方が多いんじゃないかと考えてしまいました…。でも、自己満足のための行為だとしても、結果として誰かの役に立ったり、助けになったりするのなら利己主義でも問題ないとも思いました。
②その理由
単純に自分がそういう人間だからだと考えました。現に私は相手に対してこういふうに接したらいいだろうな、とかこれやっといたら喜ぶだろうなという結果を考えてから行動に移す性格なので、どちらかというと相手がというよりは自分が傷つきたくない・嫌な思いをしたくないという考えの方が強いからかなぁと思いました。
課題のような火事の中に飛び込んだりとか老婆になんの躊躇もなくお金をあげたりとかいう場合でもそうです。私だったらいくら自己犠牲とはいえ、見ず知らずの人を助けたりお金を渡すなんてことは出来ないなぁと感じました。でも、これは知らない人だから別に自分の良心が痛まないだけで家族や友人、恋人となると当たり前のように条件が違ってきて良心どころの問題じゃなくなりますよね。これをいってしまえばもう全てのことに条件によって違うというのは当てはまってしまうのでズルい気がしますが…!
なんかいろいろひっくるめて極端に言ってしまえば私は私の周りの人たちさえ幸せならいいや〜って考えてしまう人間なんだということが分かりました。なんかクズっぽい!!泣
でもこれが普通なんじゃないのかな、とも思ってしまいます。
③利己主義は正しいと思いますか?(正しいと思う場合道徳や倫理がどうなるか、正しくないと思う場合それはなぜか)
私は今までのことから考えて利己主義は7割くらいは正しいと思います。
それは利己主義の定義として自分だけの利益を考えて他者を軽視するってなっていて、「だけ」となるとそれはどうかなって思うし、他者を軽視しているわけでもないとも思うからです。
しかし、相手のためにしてあげたことに少なからず自分のためでもあったという要素が含まれることに間違いはないと思います。自分の中に利己主義的な気持ちがある以上正しくないとは思いません。
道徳や倫理はどうなってしまうかということに対しては今とたいして変わらないと思います。
利己主義を認めてしまうと、自分勝手なことでもしていいという考えが元となって、めちゃくちゃ極端に言ったら「働かずにお金が欲しい」とか「授業サボりたい」とかも通用するようになると思います。しかし、その先にある収入が得られなくなることや、単位を落としてしまうなどのことに対しての責任は自分以外誰も取れません。
いくら自分がよければそれでいいという考えを持っている利己主義の人でもこれらが自分のためにならないということは理解していると思います。社会的なルールをわざわざそんなことで破ることはしないと思うのです。
つまり何が言いたいかっていうと、いくら利己主義者でも決められた社会のルールや規則の判別くらいはつくんじゃないか!!ということです。
そろそろ何言ってるか自分でも分からなくなってきたので、今回はこの辺で終わろうと思います。
明日のゼミはどうなるのかな〜