K.Ayaka's Blog

商学部の学生やってます。

ゼミ⑯&⑰ 文学完結編

こんにちは!

 

お久しぶりの更新になってしまいました…。

 

先週のゼミblogが更新できなかったので、文学の内容2回分をまとめて書いていこうと思います!

 

前回からの課題である①クローン人間を創り出すことの是非、②自己肯定感はどうすれば実感できるかの2つをグループワークで考えました。

 

 

まずはクローン人間について。

 

初めに自分のアイデア(考え)をなんでもいいからばーっと書き出していきました。

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なんでもいいのに(正確には賛成意見も思いついていたけど)なぜか反対派の意見しか書きませんでした。なぜだろう。

 

 

そして、ペアになって出た意見を主観的賛成、主観的反対、客観的賛成、客観的反対の4つに分類しました。

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ペアの人も反対意見ばかりで見事なほどに賛成意見がありませんでした。

 

比べてみると私は単純に気持ち悪いから、理想通りになってくれないなどの主観的な意見が多く、ペアの人は倫理はどうなってしまうのかとか戦争に使われるのではという客観的な意見が多かったです。

 

【みんなの意見】

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石川先生が青い部分の意見を出してくれたのですが、自分の仕事をやらせるとか誰もが1番最初に思いつくのに謎の自制が働いて書くとこや発表するとこまでこないのはなぜなんだろうと仰っていて確かに不思議だなぁと感じました。

 

 

話はちょっと変わりますが前回から私が触れているアンパンマンにでてくるフランケンロボくんについてお話します。

(書きたくなってしまったので笑)

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フランケンロボくんは、ばいきんまんアンパンマンを倒すために創り出したロボットで、生みの親であるばいきんまんのことをパパと呼んで尊敬しています。しかし気弱な性格でアンパンマンを倒すのには全く役に立たなかったため、ばいきんまんはゴミ箱にフランケンロボくんを捨ててしまいます。その時に雷に打たれてしまい、体中に電気を帯びてしまい、触った人を感電させてしまう体になってしまいました。

 

フランケンロボくんは街の人たちと友達になろうとしますが、常に電気を帯びているため握手をすると相手がしびれてしまう。そんな状況を見てばいきんまんはフランケンロボを利用してアンパンマンを倒そうと考える

〜〜(続く)〜〜

 

みたいなお話なんですけども、お気づきのようにフランケンロボくんも「怪物」と同じように造り主の勝手な意図で生まれ、無責任に捨てられているんです!!!

 

怪物は「醜い容姿」で、フランケンロボくんは「電気を帯びた体」でそれぞれ周囲から距離を置かれてしまいます。なんとも切ないお話なんですよ…。

 

しかし、アンパンマンの優しい世界では差別は起こらないんです。フランケンロボくんはアンパンマンの提案で普段はとうだいまんに電気を供給するお仕事をしています。

 

人間の世界も同じで、クローンを受け入れるか受け入れないかの価値観1つで変わると思うんです。今までの歴史が積み重なってクローンを創り出すことが禁止されているような社会が出来上がっているのなら、これからまた長い時間をかけて人間とクローンが共存できる社会も実現する可能性はあるかもなとアンパンマンの世界をみて思いました。

 

AIがだんだんと現代社会に浸透していってるのと同じようなもんですかね。

 

でも人種差別や女性差別みたいに昔から根強く残っているものもありますし…。優劣をつける社会ではなくて、どっちも大事っていう社会を創るのは難しいですよね。うーん。やっぱり分からないなぁ……。

 

でもこうやって分からないけど考えて、また考え直していくことが社会を良くするヒントに繋がっていくんでしょうね。negative capability、大事にします!

 

次に自己肯定感を実感するにはどうすればいいかについて。

 

私は前回のblogにも書いたように関係の浅い人よりも深い人(家族とか)から認められたり、肯定されたりすることで得られるのではと考えていました。

 

みんなの意見を聞いていると私みたいに他者が関係するという人と、周りから左右されるものではなく自分次第だと考える人の2つに話が分かれました。

 

私は自分の存在意義や考え方って、他者から評価されたり認められたりして初めて成り立つと考えていたけど、全部が全部そうかって言われたら分からなくなってしまいました。

 

だって、現にこういうblogやTwitterのどうでもいいツイートとかInstagramとかは誰からも評価されなくても自由に自分の考えを発信できる場じゃないですか。

 

そう考えたら誰からも評価されない意見や考え方はこの世に星の数ほどあるわけで…

 

関係ないと思ってても、いいねが多い投稿とか評価された考え方とかがどうしても目や耳に入ってくる時代だから、知らないうちに基準ができててそれが自然と身についてしまっているのかな…?

 

え、でもやっぱり家族とか恋人とか自分の身近な人に肯定してもらうんだったら関係ないのか??(ふりだしに戻る)

 

ぬおーわからんってなってたら、石川先生が夫婦は1番身近に自己肯定感を与え合える仲ですよねって仰ってて、やっぱり!!?ってなりました。

 

でも、自分の考えの中に自己肯定は自分次第だという考えが全くなかったので、自分の中での考え方が広まったというか、見える範囲が変わってもう一度考え直すことができたのは学びになりました。

 

【文学に取り組んでみての感想】

・文学が身近な存在になった

・感想は多様だからこそ共有するべき

・誰かになれる経験を大事にする

・成長=経験値=読書体験

 

中学生の頃から自然と本をあまり読まなくなりました。元々本が大好きで、本屋さんに行った時はそれこそパッケージ買いをするのですが、読むのに時間がかかりすぎて途中でやめたり、買って満足することが多かったです。

 

でも、裏を返していつでも好きな時にやめられる=いつでも読めるのが文学の良いところだから時間がかかってもいいから私も本を持ち歩いてみようと思いました。

 

必ず読み返すタイミングがくるって石川先生も仰ってたので、本棚の本を久しぶりにひっぱり出して読んでみようと思います。

 

身近にある自分以外の誰かになれる経験を手放さないように大切していきたいな。

 

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☝︎しっかりゴム手袋してるんですよ笑

 

それではまた!